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進化生物学者がイヌと暮らして学んだこと

2頭飼いの楽しみ

ずっと「一人っ子」だったキクマル

 キクマルを飼おうと決めたのは、ネコのコテツが亡くなったあと、2004年だった。5月に生まれたキクマルが我が家に来たのが8月。私たちにとって初めてのイヌの家族だ。キクの両親であるアニータとコーディを飼っていた獣医の菊水健史先生にはいろいろと教えてもらったが、『犬の医・食・住』(どうぶつ出版)という本も購入し、まじめに勉強した。これは大変役に立った。

 キクマルは、初めての子なので、こちらもイヌのことがよくわからない面もあり、かなり大事に育てた。でも、キクはおとなしい性格の、全般的に「良い子」だったので、子イヌのころからそれほど面倒もなく、育てやすい子だった。

 キクは、11歳になるまで「一人っ子」だった。私たちは共働きだし、イヌが1匹でマンションに残って私たちの帰りを待っているのは寂しいに違いない。しかし、私たちのマンションは、夫の勤め先であった東京大学教養学部駒場キャンパスのすぐそばだったので、キクは毎日、夫と一緒に駒場の研究室に通っていた。イヌの認知能力の研究もしている研究室なので、部屋にイヌがいるのはかまわなかったし、実際、多くの実験にも参加した。

 夫が教養学部長になると、それまでの延長で、キクは、学部長室に通った。おとなしく隅の長座布団で寝ていて、会議中、奥にイヌがいることすら気づかない先生方もいたそうだ。

 その後、夫が東京大学の理事・副学長になり、本郷の本部が職場になったときには、さすがにそこまでキクを連れて行くことはできなくなった。キクは、昼間は一人でお留守番ということになるのだが、そのころにはもうすっかり大人だったし、ドッグ・シッターのちいちゃんが来てくれるので、安心だった。

 こうして「一人っ子」のキクを囲む家族の生活が続いたのだが、キクが11歳のとき、下の子を飼うことに決めた。キクマルは健康で長生きだが、いずれ寿命は来る。お父さん(夫のこと)のペット・ロスによる悲しみを考えると、次の子がいた方がいいかなと判断した。キクの姪のジャスミンが出産するというので、そのうちの1匹をもらうことにした。

 それができたのも、2014年の12月に引っ越しをしたからだ。それまでのマンションから、たった数百メートルの引っ越しだが、イヌを何匹飼ってもよいというところへ引っ越したのだ。こんな条件のマンションは、今どき、まずないに違いない。でも、今住んでいるところは、他人に迷惑をかけない限り、どんなイヌでも、何匹でも、飼ってよいのである(築50年ですが)。

コギクが来る

 コギクは、2015年の1月1日に生まれ、3月の末に我が家にやってきた。10匹兄弟の1匹、雄である。お母さんのジャスミンは黒で、生まれた子は全員黒。コギクも真っ黒な子だ。菊水先生のうちにコギクを引き取りに行った日は、キクマルも連れて行った。以前にもキクとコギクを対面させてはいたのだが、キクにしてみれば、まさかこれから一緒に暮らすことになるとは思っていなかったのだろう。帰りの車の中でコギクと一緒になると、明らかにキクは不満そうだった。「こいつ、なんでここにいるんや?」という怪訝な顔をして嫌がっている。

 コギクの方は、私に抱かれてすっかり安心して眠ってしまい、うちに着いたらさっそくあちこちを探索。そして、もう何日も前からここで暮らしていたかのように、我が物顔で歩き回り始めた。キクにもなついて、すぐにキクにまとわりついて遊びに誘う。キクは、それがうざったいらしく、「ウー」というひどく低い声を出して追い払おうとする。それでも、コギクは全然気にしないで遊ぼうとし続けるのだ。

長谷川家にやってきたばかりのころ。
天真爛漫なコギク(生後3ヶ月)に視線を送るキクマル(11歳)

 こうして2頭が一緒に暮らす日々になった。しかし、1ヶ月経っても、2ヶ月経っても、キクはコギクの存在が受け入れられない。「こいつ、いつ帰るんや?」とでも言うような目つきでこちらを見る。でもねえ、この子とはずっと一緒に暮らすのよ。キクマルちゃん、わかるかなあ。

 コギクというやんちゃなチビすけがうちに来たとき、キクマルはもう11歳だった。スタンダードプードルは長生きだが、11歳は十分年寄りである。これまでずっと一人っ子でいたのに、この年になって急に赤ん坊が来て、キクも驚いただろう。もう、一人でもあまり遊ばなくなっていて、新しくあげたおもちゃも、それほど喜んで遊ばないということもしばしば起こっていた。実際、私たち自身が年だし、だんだん衰えていくキクと一緒の暮らしは、まさに「たそがれ」の感があった。

 そこへ、コギクである。この新しい命は、そんな「たそがれ」ムードの家に、はじけるようなエネルギーをもたらした。第4回にも書いたように、何もかもかじって壊す「破壊魔」なのだが、怒られても怒鳴られても何のその。マンションの部屋の中も代々木公園も、全力で走り回り、キクでも誰でも飛びついて、新風をもたらした。キクが遊ばなかったおもちゃも、全部コギクがかじりまくり。年老いて静かなキクだけを相手にする生活とは打って変わって私たちの精神状態も一気に若返り、やんちゃ坊主相手におおわらわの生活へと激変した。世代交代の必要性を実感させられた。

 やがて、キクもコギクを受け入れるようになった。毎朝の散歩では、飛びついてくるコギクを相手にワンコプロレス(通称ワンプロ)をしてあげる。伊豆の別荘では、初めて川遊びするコギクを気づかってやったりと、いいお兄ちゃん(お爺ちゃん?)ぶりであった。

 ただし、ご飯のときは隔離せねばならない。放っておくと、コギクの方が早く食べ終わり、強引にキクのご飯を食べてしまうからだ。年老いたキクは食べるのも遅いので、これは一緒にできないのである。

 こんな風にして、お爺ちゃんと子どもの2頭の暮らしが4年間続いた。そして、キクが14歳11ヶ月で亡くなる。そのときの話は、また別の機会に。

ワンコプロレス(コギク2歳、キクマル12歳) 

マギーが来る

 キクマルが亡くなったのが2019年4月。コギクは、初めて一人っ子になった。これまで、いつも必ずお兄ちゃんがいたのに、昼間は誰もいない。お兄ちゃんを待っているかのように玄関にすわっている姿は、とても寂しそうだった。ドッグ・シッターのちいちゃんが来てくれるが、どうも一人はよくない。そこで、次の子をもらうことにした。今度は、コギクの同腹のお姉さんであるニコちゃんが産んだ子である。

 ニコちゃんの出産は10月3日だった。なんと、11匹生まれたということだ。今度は女の子をもらうことにした。我が家で初めての女の子である。ニコちゃんが暮らしている麻布大学獣医学教室に何度か見に行って、コギクにも対面させた。ニコちゃんも黒で、生まれた11匹も全員黒。その中で、一番からだの小さい子をもらった。名前はマーガレット(キク科です)、通称マギーである。

 12月12日に、麻布大の研究室にマギーを引き取りに行った。コギクも一緒である。育ての親の永澤美保先生によると、「この子はちょっとビビリン」ということだったが、やがて、まったくそんなことはないと判明する。

 帰りの車の中では、コギクは、かつてのキクマルのように、「こいつ、なんで一緒にいるの?」という顔をしている。どのイヌも、最初に誰か別の子が来たときには、そういう反応をするのだろう。そして、マンションに着いて一緒に家の中に入ったとき、コギクは、前に麻布大でマギーと対面させられたときのことを思い出して、「あ、あれはこういうことだったのか」と理解しただろうか?

 マギーも、小さかったときのコギクとまったく同様に、すぐにもお兄ちゃんになついて、まとわりつき始めた。そしてコギクも、かつてのキクマルとまったく同様に、「ウー」と低い声で唸って追い返す。それでもマギーはおかまいなし。お兄ちゃんの耳を噛む、手を噛んで引っ張る。ソファに寝ころぶコギクのおなかに、下から噛みつく(足が短くて、まだソファに上がれないから)。

 そこからの二人の反応が、キクとコギの時とは違う。それは、コギクがまだ若いからなのだ。キクマルは年だったので、小さな子どもの相手をするのは、本当に難儀だったに違いない。しかし、コギクはまだ5歳になったばかりである。もうジュニアではないとは言うものの、小さい子が挑んでくれば、結構、本気になって相手をする。かくして、コギクとマギーのワンプロの毎日が始まった。

 マギーが来たばかりのころは、まだ彼女は生後2ヶ月半である。体重はおよそ6キロ。体格はコギクの4分の1ほどだ。飛びついてかかってくるマギーに対し、コギクは明らかに手を抜いて適当にかわしていた。しかし、マギーはどんどん成長する。生後4ヶ月の今では13キロ超。体格も、コギの半分ほどになった。だから、最近のワンプロはコギも適当にあしらってなどいられない。双方、本気の闘いである。

コギクを追いかけるマギー(生後2ヶ月半) 

生後4ヶ月を過ぎたマギー

 ワンコプロレスを見ていると、大変におもしろい。まずは、互いに噛み合う。手や耳や顔や、あちこちを噛んで毛を引っ張るのだが、次には、自分を噛んでいる相手の口を噛むので、やがては口と口の争いになる。寝転がってからみあい、両手両足も総動員だが、主たる戦場は口だ。やはり、イヌが世界を把握する器官は口なのだと再認識させられる。

 ワンプロがこうじて闘いもたけなわになると、歯をガチガチ鳴らし、上唇を後ろに引いて、上の歯をむき出しにする。なんともヒドイ顔だ。こうして相手を威嚇するのだが、本気で喧嘩しているわけではない。マギーは、形勢が悪くなると仰向けに寝ころんでおなかを見せる。それでも、歯をガチガチさせて、例の悪い顔をするので、「仰向けに寝ころんでおなかを見せる」という行動が、よく言われているような「降参」のサインなのかどうか、私にはよくわからないのである。

 マギーがこういう態度に出ると、それを見ているコギクも、そのまま「許して」あげることはない。両耳を前に倒して、仰向けになっているマギーのおなかに、あま噛みではあるが、ガブッ、ガブッと噛みつくのである。だいたい、そういう「降参」の格好をしているマギーが、歯をむき出しの悪い顔をしているのだから、これは、全体が「遊び」なのだろう。

 これは、コギクとマギーが兄と妹の関係で、一緒に暮らす間柄だからなのだろう。もし、そうではないイヌどうしで本当に喧嘩をしたならば、「仰向けに寝ころんでおなかを見せる」という行動は、「降参」のサインであり、相手はそれ以上の攻撃を控えるに違いない。こんなことを学ぶ土俵が、親しい間柄どうしのあいだのワンプロなのではないか。

 やはり、2頭飼いはおもしろい。そして、イヌたちにとっても、一人っ子で育つよりは、2頭で育った方がずっと社会性の獲得によいのではないか。そんなことを日々思い知らされている。

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著者略歴

  1. 長谷川 眞理子

    総合研究大学院大学学長。専門は行動生態学、自然人類学。野生のチンパンジー、イギリスのダマジカ、野生ヒツジ、スリランカのクジャクなどの研究を行ってきた。現在は人間の進化と適応の研究を行なっている。著書に『クジャクの雄はなぜ美しい?』(紀伊国屋書店)、『進化とは何だろうか』(岩波ジュニア新書)、『ダーウィンの足跡を訪ねて』(集英社)、『科学の目 科学のこころ』(岩波新書)、『世界は美しくて不思議に満ちている ―「共感」から考えるヒトの進化』(青土社)など多数。

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