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おかあさんのミカターー変わる子育て、変わらないこころ

赤ちゃんとの出会い―おかあさんもまた「生まれる」

 

 核家族で少子化の進んだ現代の生活で、身近に生まれたての赤ちゃんを目にしたり、その世話を任されたりすることは、めったにありません。田舎から都市部に出てきて会社勤めする父と専業主婦の母のもとで一人っ子として育った私も、例に漏れず、自分が母親になるまで赤ちゃんのおむつを替えた経験もありませんでした。私の成長期はまさにわが国の高度経済成長期と重なっていて、「これからの時代は、女も男もない(関係ない)のよ」が口癖だった母の方針に沿って勉学に励み、仕事に就き、結婚もしたけれども、出産や育児というのはどこか遠い世界のことのように感じられていたのです。

 私が「わが子」を想像するようになったのは、その母が六〇歳を迎えた直後に病気で亡くなった葬儀の場でした。それまでにも、祖父母や親族の葬儀に参列する機会は何度もあったのですが、きょうだいの多い時代に生まれ寿命をまっとうした高齢者の葬儀は、親族の思い出語りの飛び交うにぎやかな集いの様相を呈していました。一方、いつか自分自身が高齢になり見送られる側になったとき(たいてい妻のほうが夫より長寿ですから)、きょうだいのいない私の思い出を共有し、語ってくれる家族は誰もいないのではないかという考えが、稲妻のように脳裏にひらめいたのです。

 それが、私とわが赤ちゃんとの初めての出会いです。まだ顔も、性別も、名前も何もない、しかし理屈や計画ではなく、わが子という「存在」を真摯に求める、新たな自分が誕生した瞬間でもあったと思います。

 女性は、出産したときに、初めてわが子と出会うわけではありません。私の例はいくぶん特殊かもしれませんが、「女性なら子どもを持つことが当然」ではない今日、人生のどこかで、何かの瞬間に、あるいはいつの間にか、内的空想(ファンタジー)の中で、多くの女性はまずわが赤ちゃんのイメージと出会うのです。

 次の出会いは、妊娠がわかったときです。やっと会えた、偶然出会った、不意に遭遇してしまった、とさまざまな出会い方があるでしょうけれども、いずれの場合も、より個別的なわが子と出会い、女性は「母親になる」というもう戻れない橋を渡り始めたことを悟ります。超音波診断(エコー写真)の技術が発達し、私たちはお腹の中の赤ちゃんの画像をかなり詳細に見ることができるようになりました。しかし、それはあくまでも、わが赤ちゃんのイメージを作っていくうえでの、一つの材料に過ぎません。身近に赤ちゃんと接する機会の減った今日の女性はしばしば、幼少期の記憶(母親との関係)や、TVや雑誌に登場する天使のような姿を手がかりにしてわが子の像を育て、関わっていきます。

 乳幼児とその母親の観察と治療に何十年も携わり、自身も五人の子どもの父親であった著名な精神医学者ダニエル・N・スターンは、『母親になること―新しい「私」の誕生』という一般向けの著書(ナディア・B・スターン、アリソン・フリーランドとの共著、北村婦美訳、創元社、2012年)で、生まれる前の赤ちゃんとお母さんがどう出会い、関係を育むかという心理的なプロセスについて、丁寧に描写しています。スターンによれば、妊娠を知った女性は、様々な手がかりから想像上のわが赤ちゃんを作り上げますが、そこには無意識的な投影(期待や思い込み)が必ずはたらきます。温かい家族の中で育ち、待ち望んで妊娠した女性にとっては、赤ちゃんは自分の期待を叶えてくれる希望の星のようなイメージで描かれるでしょうし、母親からあまり顧みられず育ち、仕事に生きようとしていた女性にとっては、赤ちゃんは自分の人生に割り込んできた邪魔者のようにイメージされるかもしれません。また、自分が母親に顧みられずに育ったからこそ、赤ちゃんは自分の寂しさを埋めてくれる救世主のような理想化されたイメージで描かれることもありえます。

 ふりかえると、私の場合、最初に出会った想像上のわが赤ちゃんのイメージは「同志」でした。すでに亡き母親から、自立した女性として生きることを託されていた(と感じていた)私にとって、その人生を共に戦ってくれるたくましい存在であってほしいという期待が大きかったのです。思えば、産前産後の休みも最小限しか取らず、妊婦としては無茶なこともたくさんしていました。きっと、実際のお腹の中の赤ちゃんにしてみれば、いい迷惑だったことでしょう。ちなみに、二人目のときのイメージは、「贈りもの」でした。リボンを解くのが楽しみといった感じで、だいぶ肩の力が抜けていたように感じます。

 子育てというと、身二つになってからの現実の世話や、付随する気持ちの問題がもっぱら俎上に載せられがちですが、実はそれよりもずっと前に、心の中で赤ちゃんと出会い、育てるという母親の営みが始まっていることをもっと大切に考えたいと私は思います。スターンは、女性はこの内的な作業を含めたプロセスを歩むことによって「母親として生まれる」、つまり根本的に違う存在になると気づいた、と研究生活の締めくくりに出版された前掲書の冒頭に書いています。もしこのエッセイを読んでいるあなたが出産を控えていて、心身に何かつらさや不安を感じているなら、想像上のわが子と自分の関係に何が起きているのかを少し意識して考えてみると、回復へのヒントが見つかるかもしれません。

 たとえば、完璧主義の母親に育てられ、その理想に近づこうと頑張って生きてきた女性が妊娠したとき、「とても自分はお腹の中の素晴らしい赤ちゃんの理想的な母親にはなれない」と自信を失い、重荷に感じてしまうということがあります。逆に、母親から疎んじられ、自分は母親を困らせる良くない存在だという罪悪感を抱えてきた女性が妊娠したときには、お腹の中の赤ちゃんが自分を困らせる存在のようにイメージされ、生むことに前向きな気持ちになれないといったことが起きます。いずれも、妊娠中のあなたが描いているのは、過去のあなたの経験がもたらした「想像上の赤ちゃん」であり、現実のお腹にいる赤ちゃんとは全く別物です。過去からの亡霊に囚われていないかと自問してみることは、不安の呪縛から解放されるきっかけになるでしょう。

 母親となった多くの女性の語りからスターンが見出したことで、私が一番面白いと感じるのは、妊娠した女性は八~九か月目になると、「詳しく思い描かれたこの想像上の赤ちゃんを、取り消しにかかる」という出産前の内的なプロセスです。心理学の用語では、「投影の引き戻し」と呼ばれる心のはたらきです。理想のイメージ(天使や英雄)にせよ、否定的なイメージ(邪魔者や不安の源)にせよ、空想に捕らわれていては現実の分娩という危機に対処できないため、本能的に幻想から醒めるようにできているのだというわけです。

 思い当たることは、私にもありました。恥を忍んで打ち明けると、私は「同志」であるわが赤ちゃんが、妊娠中期まで、臍と臍どうし、紐帯でしっかり自分と結びついていると想像していたのです。空想(ファンタジー)というのは不思議な威力をもっています。たとえば、結構大きくなった子どもがサンタクロースを信じていることがあるように、外的な現実の認識と、内的な現実の認識とは、別次元で併存しうるということです。すでに保健の時間に女性の身体構造について学び、わが子のエコー写真を何度も眺め、知識としては「知って」いたにもかかわらず、堂々と、自分の臍の内側に延びる紐帯の先に臍でつながる赤ちゃんを何か月も心の目で確かめていたのです。それが、直接のきっかけは忘れましたが、独りでいたある瞬間、魔法が解けたようにはっと我にかえりました。赤ちゃんの臍がつながっているのは、子宮の中の胎盤です。そんな子どもみたいなファンタジーに浸っていた自分が恥ずかしいのはもちろんですが、戦友との紐帯を断ち切られて、何か寂しいような、不思議な気持ちになったことを覚えています。

 そして、出産を経て、わが子と対面するという出会いがやってきます。女性は、まず未来のわが子と出会い、次にお腹の中のわが子と出会い、その次に一人の人間として生まれ出たわが子と出会うというふうに、いくつものステップを経て母親に生まれ、母親として成長していきます。その過程で、たとえば理想の赤ちゃんを自分で思い描いたり、親族から期待されたりしていた女性が何かの事情で早産するという事態が生じたとき、「投影の引き戻し」が間に合わず、現実に出会ったわが子とのギャップに傷つくということが起きてしまいます。早産であればあるほど、現実に小さく、保育器の中でたくさんのチューブにつながれている姿を見ることになるでしょうし、つややかな肌とピンクの爪をもった「想像上のわが子」とはほど遠い現実のわが子にショックを受けるでしょう。

 このとき必要なのは、目の前の現実(たいへんな育児)に向き合うことを励ますより前に、失った「想像上の赤ちゃん」を悼み哀しむ母親のこころに寄りそう、周囲の人々の理解です。現実のわが子と出会うための十分なこころの準備(投影の引き戻し)の期間を与えられず、早産した女性は、どんな事情でそうなったにせよ、生まれるかもしれなかった理想のわが子の母親になる機会を失ったことに苦しみ、自分を責めてしまいます。その傷つきと哀しみを乗り越えた先に、やっと目の前のわが子との出会いが待っているのです。

 このように、母親になる、つまりわが赤ちゃんと出会い、自分自身も新たな存在に「生まれる」ということには、奥深く、多様な経験が含まれています。暗い産道を抜けた先に光があるように、母親として生まれることも、拘束ではなく新たな世界への解放としてイメージすることができればと願います。

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著者略歴

  1. 高石 恭子

    甲南大学文学部教授、学生相談室専任カウンセラー。専門は臨床心理学。乳幼児期から青年期の親子関係の研究や、子育て支援の研究を行う。著書に『臨床心理士の子育て相談』(人文書院、2010年)、『自我体験とは何か』(創元社、2020年)、編著に『子別れのための子育て』(平凡社、2012年)、『学生相談と発達障害』(学苑社、2012年)、『働くママと子どもの〈ほどよい距離〉のとり方』(柘植書房新社、2016年)などがある。

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