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日本の「空気」――ウスビ・サコのコミュニケーション論

「外人」という型

外国人に期待されること
ある小学校のイベントでハロウィンの行事が企画され、そこに私を含む5、6人の外国人がゲストとして招かれたことがありました。そのなかに、子どもたちがハロウィンの伝説を紹介する劇を上演し、それに対して私たちが自国のハロウィンの過ごし方を語るというプログラムがありました。しかし残念ながら、当時私たちの出身国ではどこもハロウィンを祝う習慣がなく、ハロウィンにまつわる話をすることはできませんでした。私たちは先生たちが外国人に抱いていた期待に応えられなかったのです。 

来日して以来、似たようなことは頻繁に起きました。何人かの日本人と会話しているなかで私の出身がアフリカのマリだとわかったとたんに動物の話題になり、「ライオンを遠くから見ているから目がいいでしょ」「家からどんな動物が見えますか?」「動物が大好きだからあなたに会えて幸せです」と言われるのです。そして、みなさんが話されているような動物たちは中国と日本とヨーロッパの動物園で見たのがはじめてだったと私が説明すると、がっかりした顔をされます。期待された役割に応えられないだけでなく、疑われることさえあります。「本当にアフリカ出身なんですか?」と。

外国人に期待されることのひとつに、「日本語が話せない」というものがあります。私が今でも京都で経験していることですが、ちゃんとした日本語で道を尋ねているのに、「英語はわからへん」と返されます。

私は日本の国籍を取得してかなり経ちますが、関西空港、羽田空港、成田空港など、日本のメジャーな国際空港に到着して、日本人用の入国審査のレーンに並ぶたびに、かなりの強い口調で「ハロー、ノー」と係員に言われ、外国人用のレーンへと誘導されます。こうしたことは珍しくなく、私が日本語で挨拶し、日本のパスポートを渡しているにもかかわらず、税関審査官に英語で“Your alien card please?” “How many days you stay in Japan? ” “What purpose of stay in Japan? ”と尋ねられます。私はたいてい“I don’t know”と答えています。いったん「外人」のカテゴリーに分類してしまうと、もはやこのカテゴリー用の質問しか出てこないのです。

よそ者コンプレックスと排除歴史
異文化圏に属する他者を一定の「フレーム」に収めることは、古くから存在する行為です。そして、その「フレーム化」は歴史的には差別の構造として機能してきたと考えてよいでしょう。 

フランスの海外県であるマルティニーク島の出身で、アルジェリア独立運動で指導的役割を果たした思想家・精神科医・革命家・ポストコロニアル理論の先駆者のフランツ・ファノン(Frantz Fanon)は、その著書『黒い皮膚・白い仮面』(みすず書房)のなかで、こうした構造について詳しく説明しています。ファノンはしばしば「alienation」、フランス語だと「aliénation」という言葉を使っています。簡単に説明すると、植民地主義のなかで支配される側の人びとには、なんとかして支配する人びとに自分を似せようとする心理が働くということです。

「aliénation」の表れとして、サハラ砂漠以南のアフリカ諸国で皮膚の脱色行為(白人化傾向)が一時期――今でもかもしれませんが――流行していました。この行為について、カメルーン出身で現在はパリ在住の心理学者フェルディナン・エゼンベ(Ferdinand Ezémbé)は次のように述べています。

このような肌の色に対する黒人たちの態度[白人化=西洋化]は、根深いポストコロニアル的なトラウマに起因しています。白人は、その肌の色によって[富や成功の]象徴となっており、意識されないまま上位のモデルであり続けています。こうした条件下では、顔が白いということがアフリカ社会の大部分において実際に強力な価値基準となっているとしても驚くには当たりません。しかも植民地時代の過去が過酷な国々ほど白い肌が魅力的だとされているのです。
「肌の色とネグリチュード(黒人性)Couleur de peau et négritude」Afrik.com

一方、文学研究者・批評家のエドワード・サイード(Edward Said)は、西洋が非西洋を眺めるときに働くフィルターを明らかにしました。先ほどのファノンの話とは逆のベクトル、すなわち支配するものが支配されているものをどう見ているかということです。この西洋が非西洋に対して抱いている期待と与えている役割のことをオリエンタリズムと定義し、これを批判しました。このように西洋諸国がアフリカやアジアなどの国々を独自の視点で「フレーム化」してきた歴史があり、そのイメージの一部は未だに消えていません。日本を訪れる観光客がオリエンタリズムで植え付けられたイメージを抱いてきていることは少なくありません。 

とはいえ、日本で外国人が経験するさまざまな「フレーム化」もまた、オリエンタリズムと同じ構造によるのではないかと思います。日本に来たばかりのとき、一部の日本人の外見と行動についていくつか驚いたことがありました。ひとつは、肌の色を黒くする「ガングロ・ファッション」の流行です。そこには日本人が黒人に対して抱いているイメージ、先入観が表れていました。「アフロヘアー」も一時流行したように思います。このアフロヘアーの背景にどんなムーブメントがあったのかはほとんど吟味されないまま、外見だけが流行していることに驚かされました。

「外人枠」を脱する
言語の問題で困ったのが「カタカナ」の外来語です。京都大学に来たばかりのころ、「アベック」という言い方が流行っていました。当時、私が一緒に歩いていた女性や食事をしていた友人を指して「アベックですか?」と聞かれたとき、フランス語では「一緒ですか?」以上の意味がないので、「はい、アベックです」と答えていました。まさか、恋人同士と思われようとは知るよしもありませんでした。

「カタカナ」を使った外来語の使い方をほとんど理解していないため、「外人なのにわからないの?」と言われることもあります。とくにフランス文化に関する言葉ではそうしたことが多いように思います。日本では言葉の意味と文化的な文脈が連動していることが多いのですが、フランス語や英語、スペイン語などは、同じ言語圏でもさまざまな文化的背景があるために、言葉の意味と文化的な文脈が一定していません。つまり、フランス語が話せるからフランスの文化がわかるとは限らず、英語が話せるからイギリス、オーストラリア、アメリカなどの文化がわかるとは限らないのです。私はこのような日本での理解の仕方が先ほどの「フレーム化」とも深く関係していると考えています。

日本では、歴史的・文化的に人や物事を「フレーム化」することで社会構造が成り立っている面が強いと感じます。「日本人ではない」イコール「外人枠」になります。また「フレーム」の内と外にいる人間同士は立場が重ならず、ナワバリが荒らされる心配はありません。つまり「外人枠」の人がその「フレーム」にとどまる限りは、その対処法に頭を悩まされずにすみますし、その人が無理にそこから出ず、「期待された役割」を演じている限りは、トラブルも起きないだろうと考えるのです。

日本に来てからというもの、私はこの「フレーム化」に疑問を抱き、戸惑うことが多々ありました。「留学生」と「日本人学生」、「外人」と「日本人」など、さまざまな位置付けがあります。当然、日本語が話せない自分、日本の文化がわからない自分、日本の社会に馴染めない自分がいるのも事実ですから、「同じにさせてくれ」と強く言えないのもたしかです。「外人枠」を抜け出さない限り日本文化と社会の理解は深まらないという不安もあった一方で、型を破ってしまうと日本社会におけるマイノリティとしての「外人優遇」――結構いろんな場面で享受した――を剥奪されてしまうかもしれないという恐怖もありました。

しかし、どうせ苦労するのならと、私は日本社会に入っていく道を選択しました。たまたま日本で出会った方々が私のこのチャレンジを後押ししてくれたから、いまの自分があります。

日本で型破りな「外人」として生活するためには、さまざまな方面での努力が強いられました。私にとっての型破りの意味は、日本に同化する、日本人になりきるということではなく、日本を参与的に理解し、その上で自文化との差異化あるいは同質化を図るということです。それは、マリの文化的アイデンティティをもつ日本の居住者、つまり「マリアン・ジャパニーズ」となることです。

結果として、大学院生のときに所属した研究室でも、就職した京都精華大学でも、お客さん扱いに甘んずることはありませんでした。そのため、周囲の人はときに厳しく、ときにあたたかく私と接してくれました。できるだけ多くのことをまず身体化し、日常生活のなかでそれを表現できるように努力をしました。その過程では、周囲の人びとと比べて数倍もの時間を費やさなければなりませんでした。あまりにもつらくて、「もう外人のままでええやん!」と諦めそうになる場面も多々ありましたが、一定のレベルに達すると、わからないことは周りから教えてもらえるような関係性を築くことができました。まだ学ぶべきことは多いものの、型を破らなければ、日本文化や自文化を相対化して批判的に捉えることはできませんでした。

お互いを認め合い、一緒に成長すること
最近、さまざまなところで外国人労働者の受け入れにまつわる話題を耳にします。外国人労働者政策の改革によって非高度外国人材を含む外国人労働者の増加が予想され、それが社会にどのような影響を及ぼすのかが議論されています。これまで技能実習生や留学生を増やすことに力を注いできた日本政府や各自治体の対応を見ると、少し不安になることもあります。私は自治体の外国籍住民共生施策懇談会の委員をしており、その活動のなかで市町村の国際交流協会を視察して、話をうかがう機会があります。 

多くの協会が頭を悩ませているのが在住外国人の地域へのランディングです。現状では、その対処は日本語学習と日本文化研修だけで終わっている場合が多いように思います。概して語学の教授法は、当然ながら学習者がどんな文化に属していたかによって異なります。伝統的に外国人を受け入れてきたフランスでの外国人対象のフランス語授業について学習経験者に聞いたところ、文化圏別あるいは職業別に合わせた授業と教科書が開発されていて、最初はフランスの文化がわからなくても問題なくフランス語を話せるようになるそうです。

昨年、同じく外国人労働者、移民や難民を多く受け入れてきたドイツを訪れたとき、会話のなかで次のような発言がありました――「労働力だけが欲しかったのに人間がついてきた」。

日本にやってくる外国人労働者たちには、それまでの信仰、思想、生活様式があります。その人たちに対して、今までの日本語の教授法のままで日本語と日本文化に慣れてくれると期待するのはやや問題があると思います。「郷に入っては郷に従え」というのもひとつの真理ですが、日本人も彼らに歩み寄って、お互いの価値観や習慣を認め合い、学び合うことが求められていると思います。その関わり合いのなかから新しい地域文化が生まれ、新しい共同体が発展するのではないでしょうか。グローバル化したこれからの社会においては、多様性がカギとなることは間違いありません。この多様性が意味しているのは、お互いを認め合い、一緒に成長するということです。この言葉は京都精華大学のダイバーシティ宣言にも書かれています。これを実現してはじめて理想的な共同体が実現できるのではないでしょうか。

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著者略歴

  1. ウスビ サコ

    京都精華大学学長。
    マリ共和国で生まれ、中国の北京語言大学、東南大学を経て1991年に来日。京都大学大学院工学研究科建築学専攻博士後期課程終了。博士(工学)。2001年より京都精華大学の教員。
    専門分野は建築計画(住宅計画、居住空間計画)。「空間人類学」をテーマに、学生とともに京都のまちを調査し、マリの集合居住のライフスタイルを探るなど、国や地域によって異なる環境やコミュニティと空間のリアルな関係を研究。暮らしの身近な視点から、多様な価値観を認めあう社会のありかたを提唱している。バンバラ語、英語、フランス語、中国語、関西弁が話せる。

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