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日本の「空気」――ウスビ・サコのコミュニケーション論

「空気を読む」

私はマリ共和国(以下マリ)の首都バマコで生まれ、幼少期を主にバマコで過ごしました。「主に」というのは、父の仕事の都合で幼稚園に入園するまではマリのさまざまな地域を転々としたからです。また、10才からは家庭環境の都合でバマコから250キロほど離れたセグという町で学校の教員をしていた親戚の家に預けられ、高校に進学するまでそこで過ごしました。高校卒業後は、国の奨学生として中国に渡り、留学1年目を過ごした北京語言大学では、800人を超えるさまざまな国と地域出身の留学生と過ごしました。さらに、私が旅行好きなこともあって、機会があれば居住地以外の場所を訪ねて文化の違いを楽しんできました。

このように、さまざまな国や地域を訪れているうちに、どの社会集団にも一定の決められたルールや慣習、しきたり、つまり「生活コード」があって、その集団の構成員のあいだで共有されていることを実感しました。集団に混じって生活しようと思えば、それらのコードを習得する必要があります。私も、さまざまな集団と接しているなかで常にその集団の独特な生活コードを理解する努力をしてきました。

「空気を読む」ことの難しさ
私の出身地マリでは苗字が民族や社会的属性を表します。また、決められた苗字のあいだで冗談を交わして、お互いに支え合ってきた、「サナングヤ」と呼ばれる慣習があります。例えば、私がマリの入国審査の際、審査官にいきなり「アホのサコ、奴隷の旅から来たんか?」と言われることがありました。苗字を確認すれば、「君こそ僕の奴隷」と冗談で返すべきでしたが、久しぶりのマリでびっくりしてしまい、強い言葉で返すと、「やはり君はまだマリ人として一人前になっていないね」と返されました。また、ある会社を用事で訪ねたとき、冗談を言い合う関係にある苗字の方が窓口の担当だったので、他の方々に、「このガキどもは私の手下なので先に通してあげて」とお願いしました。このように、冗談を許し合うことは、お互いが良好な関係にあることの証であり、相手に対して無償の支援と愛を注いでいることも意味しています。

これまで世界中を旅して、いくつかの国や民族の言葉を話せるようになった私ですが、日本語ほど難しい言語はありません。その理由は日本語と文化との関係にあります。私はよく「日本語は科学的な言葉ではない」「日本語には論理性がない」と口にします。実際には科学的なのかもしれませんが、日本語には実体験が反映する部分が多いです。あるいは論理的な構造はあるのかもしれませんが、日本語を理解するためには一定の日本文化に関する知識が必要なのです。例えば日本語の会話では非言語的な部分、つまりノンバーバルコミュニケーションの部分が非常に大切です。日本で生まれ育った人であれば、ある程度これを身体化しており、意識せずにそうしたコミュニケーションのスタイルが身についています。日本の環境と文化を理解する人同士が会話しているときには、こうしたことも「空気を読む」に含まれているのです。

日本の文化の外で生まれ育った私のような人間にとって、このような日本独特の「空気を読む」文化は非常に理解に苦しみます。私たちは日本語を文法構造から習い始め、その過程で会話も習います。それ自体はおおむね客観的です。とはいえ私個人が常に違和感を覚えていたのは、例えば喫茶店で注文をする場面の練習で、「何になさいますか?」といった質問に対し、「僕はコーヒーだ」と答えることです。この質問と回答を自分が知っている他の言語に訳してみても(“What do you want?” “I'm coffee”)、まったく意味が伝わってきません。こうした経験、つまり日本語の「省略」パターンが使われ、外国人にはわかりにくい経験は、日本に来てから無数にあります。たとえ質問と回答が対応していなくても、日本文化を知っている人であれば互いに理解し合っています。こうした経験をへて、私は日本語の学習方法を途中から変更しました。疑問をもたないこと、もったとしてもあえて質問せず、まず日本語を身体化することを優先したのです。それは、日本語に疑問を感じて質問したところで、多くの日本で生まれ育った人びとは論理的に答えてくれないからです。

冒頭に説明したマリの「サナングヤ」の場合、マリを訪れる外国人たちは、ホームステイ先の苗字が与えられることが多く、そうなると他の民族の人びとと出会った際に「サナングヤ」にのっとってきつい冗談がふっかけられ、しかもそれに否定的な反応をしてはいけないことになっているので、おおいに戸惑うことがあります。京都精華大学の学生たちがフィールドワークでマリに行ったときには、このような冗談で泣きだしたこともあります。

ほかの国にも「生活コード」はありますが、日本の「空気を読む」文化は特殊で、複雑な文化理解が必要ですね。

「ちょっと」という日本語のあいまいさ
日本で生活をし始め、ある程度まで日本語が理解できたと思うようになったころ、かえって多くの誤解が生じ始めました。日本語独特の言葉のニュアンスのために迷惑をかけたり、戸惑わせたりすることが多くなったのです。 

例えば、やっと覚えた日本語を日本の知人や友人たちに披露するつもりで、よく電話をかけ、そのたびに相手の都合を聞いて、「よかったら会いませんか?」と誘っていました。よく耳にしたのは「ちょっと」とか「少し」といった回答です。なるほどちょっとの時間や少しの時間なら会えるのかと私は考え、ではいつ会えるのかと続けると、おそらく緊急のことだと思われたのでしょう、ほんの少しだけ会ってくれた知人や友人もいました。

だいぶ時間が経ってから、この「ちょっと」「少し」が表と裏の二重の意味をもっていることがわかってきました。とはいえ当時、私と話をしていた日本の友人たちは、この「ちょっと」「少し」が実は私には通じていないとは微塵も考えなかったのでしょうか? 同じように「結構です」にもだいぶ振り回されました。もちろんいまでは「結構です」がその場の雰囲気と空気によって否定的な意味になったり肯定的な意味になったりすることは理解しています。

イントネーションや音の強弱で言葉のニュアンスが変化する言語は他にもあるでしょう。また、リップサービスに類するものはどの文化にも存在します。とはいえ、日本語の場合、そうした音の区別がなかったり、特に大げさに言うべき内容でもないことが言外の意味をもっていたりします。「近くに来たらいつでも立ち寄って」と普通の声色で言われたとしたら、それは何か別のことを大げさに言っているのだと思い込むべきなのでしょうか。日本語を覚えたての私は、日本にはリップサービスというものはなく、本当に自分が誘われているのだと信じ込みました。いつでも遊びにおいでと言ってくれた知人の自宅を訪ねたとき、「本当に来ちゃった!?」と驚いた顔はいまでも忘れられません。 

思いを伝えず我慢する人たち
じつは日本人との情報伝達上の誤解は日本に移り住む以前から経験していました。中国の大学を卒業した年、私を含めてマリ人3人で日本の友人宅を訪ね、「マリ的な考え」で当然、そこに滞在するつもりでいました。相手もそのつもりで色々と準備してくださり、狭いスペースながら友人の両親の布団の横に私たち3人の寝る場所を確保してくれました。当時は私たち3人とも簡単な単語を断片的に理解しているだけで日本語はほとんどわかりませんでした。

先ほど「マリ的」と書きましたが、マリでは親戚を訪問するとき、いつまで滞在して、いつ帰るといったことは強いて言わないし、聞かれることもありません。このときの日本旅行は夏休みを利用していたこともあって、私たちは出発日をいつとは決めていませんでした。しかし私たちを滞在させてくれたホストファミリーは、私たちがいつまで日本に滞在するのか聞き出そうとしていたようです。外国語がわかる別のお客さんを交えてパーティーが開かれるたびに、私たちの帰国日はいつですかと尋ねられました。もちろん私たちは「とくに決まっていない」「別に急いでいない」と答えて、知らず知らずのうちに彼らを不安がらせていたのです。

ある日のこと、ホストファミリーは関西に住んでいる他の友人に連絡した上で、私たちに京都の祇園祭を見に行ってはどうですかと勧めてきました。当時の私たちは祇園祭のことなど知りませんでしたから、特に京都に行きたいとも思いませんでした。それでも京都への新幹線のチケットをプレゼントしてまで強く勧めてくれるものですから、ようやく私たちはそのホストファミリーのお宅を後にしました。あのホームステイで不思議なほど頻繁に開かれたパーティーで繰り返し尋ねられた質問の意図が理解できたのは、日本に来てしばらく生活してからのことでした。

やがて私は京都に住むようになりましたが、そこでもたびたび似たようなことに遭遇しました。中国に住んでいるマリ人が向こうの観光地で老齢の日本人夫婦と友だちになったのがことの発端です。そのマリ人と夫妻は何度か手紙をやり取りし、ときにはプレゼントも贈りあったりしました。マリ人は自分の写真を送ったり近況報告をしたり、また日本人夫婦からの返信には、再会を楽しみにしている、またぜひ会いたいといったことが書かれていたそうです。純粋にもいつか夫妻に会いに行くと決心したマリ人は、大学を卒業して大学院への進学が決まったことを機に、このことを夫妻へ報告するための来日を企画しました。

マリ人から日本を訪ねたいと連絡を受けた夫妻は「なぜくるのか」と疑問を抱きながらも招聘状などビザ取得に必要な書類を彼に送りました。夫婦のおかげでビザを取得できたマリ人はチケットを購入し、いよいよ日本に到着しました。そのあいだ私は両者のやり取りをまったく知らず、このマリ人が中国を出発する直前、ある日本人夫妻に呼ばれたのでホームステイをしに来日すると彼からメッセージが届きました。また、時間があればサコ家にも遊びに行くつもりだとのことでした。

さて、彼が日本に到着してその夫妻の家を訪ねたところ、向こうとしては、彼は別の目的で日本に来るのだと思っていたことが判明しました。そして、夫妻から私に助けを求める連絡が入りました。高齢の夫婦だったこともあり、数日なら自宅に泊め、京都を案内してあげてもいいけれど、ずっとは難しいと言われました。まさに私にとってはデジャヴュでしたが、結局このマリ人を私の自宅に引き取って、1ヶ月のあいだ滞在させることになってしまいました。

同じようなことは別の複数のマリ人やアフリカ出身者、ときにはヨーロッパの知人にも起こりました。言外の意味が実際の行動に関わるときには、こうした困惑が多く生まれていると考えられます。日本に多くの外国人が訪れるようになった昨今、このような「日本人ならわかる」言い回しを多用するのは少し控えたほうがよいかもしれません。

大学でのコミュニケーションのギャップ
日本語学校での勉強を終えて私は大学へと進みましたが、日本の大学の独特な文化については日本語学校のそれ以上に知識がありませんでした。配属された研究室のメンバーから非常に快く受け入れていただき、ランチやディナーをともにすることが多かったのは幸運でしたが、やはり所属メンバー同士の立場や上下関係、年齢差と先輩後輩の関係、これに応じた言葉の使い分けにはいつも頭を悩まされました。留学生という私の微妙な立場も問題を複雑にしていました。当時の多くの留学生は同級生の日本国内学生より2、3才ほど年上で、場合によってはもっと年上ということもありました。しかし研究室では、年齢関係なく同級生同士で役割分担をしたり、チームを組んで共同作業をしたりします。 

さらに私が所属していた工学研究科には、グループや組織で研究する以外に独特の文化がありました。昼夜逆転の生活を送っている人が多かったのです。日本の大学にありがちなこととして、午前中の授業にはサボって出席しない学生、特に大学院生もいました。それゆえ私とチームを組んでいたメンバーのなかに、私とは生活パターンが正反対の人もいました。つまり、夜から大学に来て、作業をし、朝に帰宅するのに対して、留学生の私は授業に出席するため、朝、大学に来て、夕方に帰るという生活を送っていました。

私からすればそのメンバーこそ作業も授業もサボっている学生にしか見えませんでしたが、彼からすれば私のほうが共同作業をサボっている留学生に見えていたようです。その学生は私のいないところで不満を漏らしていたようですが、私に直接言ってくることはありせんでした。

ある日のこと、そのメンバーが研究室のお茶やコーヒー代を徴収しようとしたときに私が少し冗談をふっかけたことから、彼がいきなり怒ってしまい、椅子を蹴るわ、大声で叫び出すわで、私は非常に驚いてしまいました。事態を把握していなかった私も同じくらいの大声で言い返し、それが相手の予想外だったのか、つかみ合いの喧嘩には到りませんでした。私にとっては、ひとこと言えば済むようなことがこれほどの大事になるまで放置されていたことが意外で、研究室で私だけが空気を読めていなかったように感じました。しかし、その後、授業やさまざまな面でそのメンバーと仲良くなり、研究室を卒業したときに、おさがりをたくさんもらいました。ぶつかり合ったことでかえって仲が深まったことになり、ストレートに言い合えるというマリの文化を体現することができました。

また、大学の教員になって、自分の研究室の学生たちを観察すると似たようなことが起こっているようです。研究室に配属されると、はじめのうちは、学生たちは研究室という場と教員を利用してグループダイナミックスを形成し、仲の良い集団になったかに見えます。しかし時間が経つと、学生たちは小集団に分裂し、小集団同士で暗黙の競い合いが始まります。さらに同じ小集団に属するメンバーなら仲が良いのかと思うと、実は空気を読んで他のメンバーに自分を合わせている人が必ず数名いることがわかります。

それが明らかになるのは、ゼミ旅行などで移動や部屋割りをする場面です。打ち合わせでは、「一緒の車にしようね」「同じ部屋で嬉しい」と発言していた学生が、打ち合わせの後に研究室に戻ってきて、先ほど決めた内容を見直してほしいと言ってきます。「なんでみんなの前で言わなかったの」と尋ねると、「空気を読んで場の雰囲気を壊したくなかった」と答えるのです。私からすると、このように集団で決めたことを抜け駆けして変更しようとするから永遠に仲良くなれないのではと思ってしまいます。

ご近所さんとのコミュニケーション
京都での生活も長くなり、近隣との関係も良好になってくると、何事もうまくできていると思うようになります。そうしたなかで、私を驚かした出来事が二つほどありました。

私の自宅の向かいにはおじいさんが住んでいて、彼は私の知人や友人、ボランティアの方々が私の家の前にとめた自転車を、私たちがパーティーやミーティングをしているあいだに並べ直していました。彼らが帰るときにはいつも自転車がきれいに整理されていたので、誰がこのようなことをやってくれているのか、ずっとわからないままでした。ある日、夜遅い時間に家のチャイムが鳴ったのでドアを開けたところ、このおじいさんから「自転車が路上にあふれて、通過する車が自分の敷地に入り込むので、明日から自宅の塀を延長することにした」と言い渡されました。当然、相手の敷地内のことなので口出しできることではありませんが、自転車が迷惑だったのなら早く言ってくれたらよかったのにと思いました。その後、私が来訪者の自転車を整理するよう改めたところ、彼のほうから延長した塀の一部を取り壊してくれました。

この自宅でのパーティーやボランティア活動のミーティングはもう一つの「事件」の原因になりました。ボランティア組織の事務局を設けていた私の家には、大勢の方々が連日訪ねてきて、ときには打ち上げをすることもありました。また、ゼミの学生たちもよく私の自宅に来て、パーティーをしたり、一緒にサッカーの試合を観戦したりしていました。それが近所にどう見られていたかを、当時の私はまったく意識していませんでした。むしろ、何か催しをした翌日になると決まって私に「賑やかでよろしいね」「元気でよろしいね」などと声をかけてくれる人が登場することに気をよくしていたほどです。

そうこうしているうち、サッカーの試合を観戦したある晩、警察官が訪ねてきて「近所から苦情が出ているので静かにしてください」と言われたのです。思わず警察の方に「近所の方々はいつも私を褒めてくれているので苦情などあるはずはありません」と伝えたのですが、この出来事は私にとって非常にショックでした。これは京都だから起こったことなのでしょうか。概して日本の言葉に隠されている裏の意味まで読み取るのは至難の技です。日本に住む外国人は何度もこのようなことを経験しているに違いありません。しかし私の場合は、近所とのやり取りのなかで、日本あるいは京都に住むコツを学びました。

これからのコミュニケーション
「空気を読む」「はっきり意見を言わない」「みんなとは反対の意志を悟られまいとする」など、日本では美徳と思われがちな行為は、むしろ人間関係を冷淡にしているように思います。そして日本に住む多くの外国人はこうした生活コードを共有していないにもかかわらず、多くの方はそれが理解されているものと考えて行動しがちなようです。もともと「空気を読む」というのは、相手に対する配慮だったはずです。もし相手がこの配慮の生活コードを共有しておらず、そしてもし相手に対してなおも配慮をしたいと思ってくださるなら、「空気を読む」とは違う新しい配慮のかたちを創造することが必要なのではないでしょうか。

私がこれまで日本で経験してきたことをこの連載でみなさんと共有することで、そのお手伝いができればと思います。また次回お会いましょう。

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著者略歴

  1. ウスビ サコ

    京都精華大学学長。
    マリ共和国で生まれ、中国の北京語言大学、東南大学を経て1991年に来日。京都大学大学院工学研究科建築学専攻博士後期課程終了。博士(工学)。2001年より京都精華大学の教員。
    専門分野は建築計画(住宅計画、居住空間計画)。「空間人類学」をテーマに、学生とともに京都のまちを調査し、マリの集合居住のライフスタイルを探るなど、国や地域によって異なる環境やコミュニティと空間のリアルな関係を研究。暮らしの身近な視点から、多様な価値観を認めあう社会のありかたを提唱している。バンバラ語、英語、フランス語、中国語、関西弁が話せる。

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