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進化生物学者がイヌと暮らして学んだこと

「イヌ友」で変わる近所づきあい

 キクマルはスタンダード・プードル(スタンプー)である。我が家にもらわれてきた生後3ヶ月の時点ですでに結構大きかったが、その後もどんどん成長し、最終的には体高69センチ、体重25.5キロになった。これは、スタンプーとしてもかなり背が高い方で、実は、ショーに出るには大きすぎる、つまり出られない、ということらしい。

 そんな大きなからだなのだが、キクマルは大変におとなしい、優しい性格で、イヌでも人でも、キクが誰かに咬みつこうとしたり、いじめたりしたことは一度もなかった。小型犬と出会うと尻尾を振って「こんにちは」をし、いっしょに遊ぶ。なんていい子なんだろうと、「親馬鹿」丸出しで可愛く思った。

 スタンプーは、水辺でカモ猟をするときの水猟犬であり、走るのが大好きだ。からだが大きいわりには食べる量は少ない。しかし、かなりの運動量が必要で、毎日、朝晩の長いお散歩が必須である。我が家は、幸い、代々木公園のそばなので、さっそく、代々木公園でのお散歩が日課となった。

 代々木公園の早朝には、イヌを連れてくる常連さんたちがいて、そのコミュニティは今でも続いている。キクマルがやってきた2004年ごろは、朝の5時半とか6時とかでは、リードを放して思う存分走らせることができた。もちろん、これは当時も違法であり、警備員さんに見つかると注意される。が、こんな早朝には、公園を散歩する人もほとんどいないし、警備員さんの見回りもそれほど頻繁ではないので、6時台までは、みんなよく放して走らせていた。

 そのうち、いくつかのトラブルがあり、リードなしは全面禁止になった。そのかわり、公園の一画に柵で囲われたドッグ・ランが作られた。小型犬用と大型犬用の2つがある。今では、リードなしで走らせるには、みんな、このドッグ・ランにやってくる。

 さて、2004年当時、まだ小さかったキクマルを連れて夫が代々木公園デビューをしたとき、公園の早朝常連は、ルビーとアンバー、KZ(ケイジー)、レオくんとリンちゃん、ユズちゃん、などなどだった。ユズはイングリッシュ・コッカーで、眠たがり。すぐにすわり込んで寝てしまう。レオくんはゴールデン、リンちゃんはシーズーで、同じうちで飼われている。KZもゴールデン。ルビーとアンバーは、両方とも褐色のアイリッシュ・セッターで、ルビーが年上。アンバーはキクより5歳ほど年上で、このアンバーがキクを友達として受け入れてくれたことで、キクはすぐにも、公園早朝組の一員となることができた。

 イヌ友というのは、大変におもしろい人間関係だ。みんな、近所に住んでいるから公園にイヌを連れてくるので知り合いになる。関係性の鍵はイヌである。そこで、レオパパ、レオママ、ユズパパ、ユズママ、ルビとうさん、ルビかあさんというように、イヌの名前が主流であり、本当はどんな姓の人なのかは基本的に知らない。どんな仕事をしているのか、どこに住んでいるのかも知らない。私たちも、単にキクパパとキクママである。その中で、とくに人間どうしの付き合いにまで発展するきっかけのあった人たちだけが、姓名、職業、住所といった、人間の情報を交換しあい、イヌ以外の面でも交流を始めることになる。でも、そうではない人たちとの間でも、イヌ友であることには変わりはないのだ。

代々木公園の「イヌ友」たち(2008年春)
左から レオママ、ナナちゃん、リンちゃん、レオパパ、ラッキー、レオくん、キクマル、
ラッキーパパ、ルビねえちゃん、ルビちゃん(ルビー)

 ルビーとアンバーのうちは、私たちのイヌ友づきあいの中で、非常に重要なハブの役割を果たしてくれた。ルビーとアンバーのうち、すなわち「ルビ・アンち」は、代々木公園のすぐそばにある新聞屋さんである。おとん、おかんに加えて、おねえ、太郎さん、次郎さんの3人の子どもがいる。今はそれぞれ結婚して子どもさんもいるので、たいした大家族だ。おまけに当時は、配達員の若い人たちを何人もかかえていて、朝刊の配達のあと、みんなに賄いの朝ご飯を食べさせていた。そこに、なんとうちの亭主も加わって、毎朝、ご飯を食べさせてもらっていた時期があるのだ! 先にも述べたように、当時、私は二番町のマンションにいることが多かったからだ。

 ルビ・アンちの大家族は、晩ご飯も盛りだくさんである。そのお余りがみんな朝ご飯に出てくるので、朝から結構なご馳走だ。夫は豚カツやらハンバーグやらを朝から毎日食べさせてもらっていたころ、ずいぶん体重が増えた。あんなに毎日、朝晩のお散歩で運動しているのに、どうして体重が増えるのだろうと私は不思議に思っていたのだが、そういうことだったのだ。私が二番町のマンションを引き払い、富ケ谷で一緒に暮らすようになってからは、私も、ときどき食べさせてもらった。レオパパ、レオママも、ときどき食べていたらしい。

 そのうち、ルビ・アンちは配達員の賄いをしないことになり、この「大朝ご飯大会」のようなものは終了した。しかし、ルビ・アンちとは、なんだかんだといろいろな付き合いが、今でも続いている。要は、気が合ったのだ。私たちは、二人とも大学で働いていた研究者なので、普通で言えば、研究者仲間、大学関係者としか付き合いがない。住んでいるのが渋谷の富ケ谷であっても、富ケ谷の住人との付き合いの接点など、ほとんどないのが現状であった。

 ところが、イヌ友というご縁で、ルビ・アンちとお付き合いするようになった。そこで、お祭りである。毎年、9月の半ばに代々木八幡宮のお祭りがあり、それぞれの町内会がお神輿を出す。ルビ・アンちは神酒所の隣、そのお祭りの中心なのだ。焼きそばの屋台を出し、関係者のみなさんには豚汁をふるまう。もちろん、お神輿にも参加。私たちは、焼きそば屋台の手伝いをするなど、すぐにもこのお祭りに参加することになった。

 お祭りのための奉納金も出資するのだが、その名義は「菊丸」である。寄付者の名前を書いた札が張り出され、そこに「菊丸」と漢字で書いてあるのを見ると、地域コミュニティの中にいるという実感が湧く。なんと言っても、こんなご縁を導いてくれたのはキクなのだから、イヌ友関係というのは素晴らしい。

富ケ谷親和会の神酒所にて(2008年9月)

 お祭りの関係から、町内会の会長さんその他の人たちとも知り合いになった。会長さんはシュウちゃんというシバイヌの飼い主で、ときどきお会いするのだが、キクマルがなぜかシュウちゃんと合わなくて、いつも仲良くできない。そういうわけで、一緒に長く立ち話というわけにもいかない。

 こういう特別なイヌ友関係ではなくても、イヌつながりで人の輪は広がる。キクマルが特別に大きくて白くておとなしそうな、目立つイヌだということもあるが、キクを連れて歩いていると、よく人から話しかけられた。「大きいですねー」、「まあ、可愛いですね」、「なんという種類ですか?」、「触ってもいいですか?」という具合だ。こうして、普通は言葉をかわすこともないような人たちと話をし、それ以後、キクなしでも挨拶をかわすようになる。

 子どもの学校を通じた地元のつながりというのも、重要な地域コミュニティの支え手であろう。しかし、子どもを通じた関係とイヌを通じた関係は、かなり性質が違うのではないだろうか? 私たちは子どもがいないのでわからないが、他者の話を聞いていると、やはり子どもは人間なので、成績だの、各家庭の事情だのが親どうしの関係に影響を及ぼす。ところが、イヌというのは、飼い主である人間のそれぞれの生活とは、まったく独立した存在でいられるらしい。やんちゃな子もおとなしい子も、お金持ちのうちの子も、はたまたホームレスが飼っている子も、みんな平等にイヌであるのだ。

 アンバーは肺ガンになって、8歳で亡くなってしまった。よく一緒に遊んでくれたのに、余りにも早く急逝してしまい、大変なショックだった。上のルビーは、アンバーよりも気難しい性格だったが、積極的にキクと遊んではくれないものの、鷹揚に受け入れてくれた。そのルビーも亡くなり、今は、ルビ・アンちにイヌはいない。それでも、私たちのお付き合いは今もずっと濃く続いている。

 イヌ友関係を振り返ってみると、現代社会における私たちの生活の、ある種の異様さが見えてくる。私たちの多くは、働いている場所である職場と、寝ている場所である家庭が異なる地域にあり、職場の人間関係と地元の人間関係が異なる。農家やお店の人たちならば、職住近接なのだろうが、今や、とくに都市住民の大半が職住分離の状態にある。これは、実は奇妙で不便なことだ。昼間、働く場所まで電車などで移動し、そこでいろいろな活動をする。その間に築かれた人間関係は、非常に親密なものになり得る。しかし、勤務が終わるとまた電車などで移動し、家に帰る。休日は家で過ごし、食べ物などの買い物も家の近くだ。しかし、そこにはほとんど人間関係が存在しないのである。

 職場ではいろいろな人間関係が築かれているものの、それぞれの人がそれぞれ自分の家のあるところに帰るので、家に帰ってしまったあとでは、物理的に離れてしまい、自分の暮らしというものの中で、職場の人間関係を用いて実際に助け合うことなど不可能に近いのだ。

 このシリーズの初回でお話したネコのコテツくんが我が家に来てすぐ、私の祖母が亡くなり、夫婦で和歌山県に出かけねばならなくなった。さあ、コテツくんをどうしよう? 葬式なので、数日の泊まりがけである。幸い、あのときは、暮らしていたマンションが、職場である大学のすぐそばだったので、職場の同僚のネコ好きに頼んで、朝晩のめんどうを見てもらうことができた。

 しかし、今はそうはいかない。私も夫も、職場と住居の位置はかなり離れている。そこで、私たちが二人とも泊まりがけで出かけねばならないときなど、このイヌたちはどうするか? 都会では、それはペット・ホテルなどの利用である。つまり、お金を払ってサービスを買うのだ。ところが、ルビんちとの濃い関係が出来て以来、とても困ったことがあると、ルビんちに電話をして助けてもらえるようになった。もちろん、なにもかも頼るわけにはいかないが、職場とは関係なく、地元で信頼できる関係を築くことができたのだ。

 ルビんちは大家族だし、たいていのことは自分たちでできるので、私たちがルビんちのためにしてあげることは、どちらかというと、その逆よりも少ない。でも、お祭りの手伝いをするとか、おとんの具合が悪いときにアドバイスするとか、「友達」でいることが大事なのだ。うちの別荘で柿や銀杏が山ほどとれたときには、それこそイヌ友みんなにおすそ分けする。ほかのイヌ友からもそんなやり取りがある。

 これは、本当に貴重なことである。と同時に、昔から、人間というのは、とくにイヌが取り持つわけではなく、地元で関係を築いて互いに助け合ってきたのだなと、人類学者として改めて思うのである。ヒトは社会生活を送り、一緒に暮らす人々との間で緊密な相互扶助関係を築いてきた。それは、金銭抜きの、お互い様の相互扶助行為であった。

 しかし、産業の発展とともに暮らし方が激変した。そこでは、お金を稼ぐための職場と、食べて寝るための家庭とが分離し、暮らすための手助けを得ようとすれば、それはお金でサービスを買うしかない。そのお金を稼ぐために職場に通い、暮らしの場ではますます人間関係が築けない、ということの繰り返しなのか。イヌ友コミュニティは、こんなことを再考するきっかけとなってくれた。

長谷川眞理子さんの連載は毎月第2金曜日に更新予定です!

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著者略歴

  1. 長谷川 眞理子

    総合研究大学院大学学長。専門は行動生態学、自然人類学。野生のチンパンジー、イギリスのダマジカ、野生ヒツジ、スリランカのクジャクなどの研究を行ってきた。現在は人間の進化と適応の研究を行なっている。著書に『クジャクの雄はなぜ美しい?』(紀伊国屋書店)、『進化とは何だろうか』(岩波ジュニア新書)、『ダーウィンの足跡を訪ねて』(集英社)、『科学の目 科学のこころ』(岩波新書)、『世界は美しくて不思議に満ちている ―「共感」から考えるヒトの進化』(青土社)など多数。

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