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『キャリアに活かす雇用関係論』刊行記念シンポジウム@お茶の水女子大学

労働の問題を可視化するジェンダーの視点

幸せに働き、生きることはどのように実現できるのか? ジェンダーの視点から日本の雇用をめぐるルールや慣行を明らかにした『キャリアに活かす雇用関係論』の刊行を記念し、2024年3月2日(土)にお茶の水女子大学でシンポジウムが開催されました。対面・オンライン合わせて100名が参加しました。
編者の金井郁さんによる司会のもと、「一番学生に伝えたいメッセージ」を執筆者が各章のテーマと絡めて報告しました。その後、「本書をどう読んだか」についてのコメント、全体討論を通じて、ジェンダー視点を貫く授業のつくり方、学生の興味と理解の引き出し方、男女格差が埋め込まれた構造を変えていく方法について議論しました。シンポジウムの内容を5回にわけてレポートします。


学生を無防備なまま社会に出さないために 
〔駒川智子/編者〕

 私のところに「アルバイト先のことで困っている」と相談に来る学生がいます。たとえば、ある学生は、アルバイト先で賃金が未払いになり、警察に行ったそうです。でも「警察では対応できません」と断られて帰ってきました。労働条件に関するトラブルの相談先は労働基準監督署ですが、知らなかったのでしょう。このように、働くことへの知識が乏しい人は多いです。学生を無防備なまま社会に出さないのは教員の責務ではないでしょうか。

 本書は、働くことに関する仕組みをジェンダーの視点から体系的に取り扱った、今までにはないユニークな本です。組織内のキャリア形成だけではなくて、副業や離職・転職も含めてキャリアを捉えています。そして日本の社会を相対化するための世界的な潮流を盛り込んでもいます。本書の特徴は三つあります。

①読者を主人公とする成長物語
 学生が最も関心を持っているのは就職活動です。ですから本書も「大卒就職・大卒採用」からスタートします。就職が決まった後は配属先が気になりますね(→「配属・異動・転勤」)。賃金はどうやって決まりますか(→「賃金」)。昇進の仕組みはどうなっているの(→「昇進」)。管理職は何をするの(→「管理職」)。長時間労働が問題になっているけれど、実際のところどうなんだろう(→「労働時間」)。こんなふうに章を立てていきました。

 女子学生からは、出産後のキャリアを心配する声も聞かれます。妊娠・出産・育児というライフイベントが生じたとき、それを支えるどんな仕組みがあるのか(→「就労と妊娠・出産・育児」)。もしかすると職場でトラブルがあるかもしれません。ハラスメントに遭ったらどう対応したらよいでしょう(→「ハラスメント」)。仕事を辞めようかなと思ったときは、何から始めればいいでしょう(→「離職・転職」)。

 日本の労働市場では政策的に非正規雇用化が推し進められてきました。誰もが非正規労働者になりえます。非正規雇用の実態と問題について知っておくことは、「自己責任論」に陥らないために大切なことです(→「非正規雇用」)。困ったときに解決の手段となるのが、労働組合です。労働組合は何をしているのか、どうやって問題を解決できるのか、知っておくと安心です(→「労働組合」)。

 副業、フリーランスなどの新しい働き方が広がっています。「自由な働き方」を労働条件の面で捉えるとどんな課題が見えるでしょう(→「新しい働き方」)。企業活動においても持続可能性が求められる時代になりました。そのカギとなる、DE&Iやビジネスと人権への取組は常識になりつつあります(→「いろいろな人と働く」)。

②全章にジェンダー視点
 これまでの人事労務管理や人的資源管理のテキストでは、男性ホワイトカラーを中心に記述されてきました。当然ながら、それでは労働の一部しか捉えることができません。ですから本書は、各章で男女別データを示し、現状をより正確に把握できるようにしました。データはさまざまな問題を露わにします。

 たとえば「配属・異動」ですと、「営業」「生産、建設、運輸」は男性だけが配置されている職場が40%以上にのぼります。「研究・開発・設計」も約35%の職場は男性だけに偏っています。日本は仕事を通じて能力を高めるOJTを人材育成の方法としていますから、仕事の経験が昇給や賃金を決定づけます。男性より少ない「経験」しか与えられない女性は低く評価されることになります。

「労働時間」では有償労働と無償労働にわけてデータを示しています。日本と韓国の男性の有償労働時間はOECD各国のなかで群を抜いて長いです。その影響を強く受けるのは女性です。日本の女性の家事・育児といった無償労働時間は、なんと男性の5.46倍です。女性は有償労働に割ける時間が減るため、非正規雇用化しやすいです。実際、非正規雇用者全体に占める女性の割合は68.2%と高いです。一方、女性の「管理職」の割合は日本ではたったの13.3%です。

 このように労働の世界では男性と女性の差が非常に大きいです。性別役割分業の根深さがその原因です。だからまず、男女のデータを見て、実態を確認する作業が必要になります。この作業の先にようやく、その人らしい働き方が見通せるようになります。

③読者をエンパワーメントする
 本書は、今ある仕組みを前提に、どううまく振る舞えばよいのかを説くものではありません。おかしいと気づける力、困ったときに助けを求める力、仲間とつながって現状を変えられる力を身につけることができる本です。働く人が社会を変える主体になれる、そんなメッセージを込めています。

キャリア教育の「くびき」から身をほどく
〔筒井美紀/第1章:大卒就職・大卒採用〕

 大学教員になって20年になりました。これまで学生を見てきて思うのは、彼らがキャリア教育の「くびき」に強くとらわれてしまっているということです。「変化の激しい社会経済だから、自己の能力を知り主体的に選択していかないと、フリーターになってしまいますよ」という「ソフトな恫喝」を受け続け、不安だけが募っている。社会経済の制度や構造について具体的に知っていることはほとんどなく、「変化が激しい」というあいまいな形容詞だけが心に刻み込まれています。これは良くないです。

 では、社会経済について何を知る必要があるのか? 能力形成、能力表明、能力発揮のチャンスは社会から制度的に与えられ、構造化されている。このことを学生には知っていてほしいと思うのです。では、それを授業でどうやって伝えていけばいいのか。

 私の授業では最初に、年表クイズをやります。「バブル経済の崩壊」や「年越し派遣村」、「男女雇用機会均等法施行」といった出来事が並べられている。それぞれ何年代に生じた出来事ですか? 年表を完成させます。

 その次に、大卒後の進路の経年グラフをエクセルで描いてもらいます。この30年ぐらいで大学を出た後の進路はどういうふうに変わってきたのかが見えてきます。この2つのグラフを比べて学生たちは驚愕します。年によってこんなにも就職率の差がある。男女でも大きな差がある。就職氷河期の1998年、男性のフリーターは2割に対して、女性のそれは3割です。



『キャリアに活かす雇用関係論』22ページより

 
 これをモデル化して考えてみようということで、簡単なモデルを提示します。

 T1時点の大卒求人は150人、大卒就職希望者は100人
 T2時点の大卒求人は70人、大卒就職希望者は100人

 景気が非常に良いとき(T1)は求人数に対して求職者数がすくないため、全員就職できます。つまり、能力評価の最低ラインが引き下げられます。バイタリティがあれば、あとは入社してから鍛えればいいから、というふうに。逆に景気が悪いとき(T2)は、就職困難な人が30人出てくる。バイタリティがあるだけではダメだ、即戦力が必要だ、などと言われたりします。しかし、この30人は、能力がなかったから就職できなかったのだとは必ずしも言えません。なぜなら、T1であれば、就職できた可能性が高いからです。このように、能力は社会的に構成されている面がある。

 能力形成、能力表明、能力発揮の与えられ方というのは男女で異なっています。日本企業ではコース別雇用管理がなされてきました。だから、女性は就職活動のときに「転勤があっても仕事を続けられますか?」というような質問をされる。就職活動時からすでに用意された選択肢の中から選ばされているわけです。はたしてどこまで、自分個人が能力を形成している、自分個人が何かを選んでいると言えるのでしょう。

 授業では就活のノウハウだけではなくて、就職後の世界の制度と構造をしっかり学ぶことが大事だと伝えています。そうした知識があって初めて、インターンシップや就職活動などの経験を、深く意味づけることが可能になるからです。

誰もが働いて生きていける賃金を
〔禿あや美/第3章:賃金〕

 賃金を論じるうえでキーワードとなるのは、ジェンダーと持続可能性です。労働者にとって生活の安定は何より大事なことです。ですから賃金は、生活を安定させられるものでなければいけません。しかし、日本では性別と雇用形態別に仕切られた賃金になってしまっており、生活の安定のさせ方にジェンダーによる違いが大きくなっています。

 日本の正社員の賃金はいわゆる年功賃金で、長期安定雇用、つまり定年まで安定して雇われることによって生活を保障する、という特徴があります。その安定した賃金は、誰の生活を保障してきたのでしょうか。その対象は男性の正社員でした。女性正社員や(多くの女性)非正社員は、年功賃金からも長期安定雇用からも外されてきました。とくに非正社員は、生活を保障する稼ぎ主の男性がいることを前提に、「家計補助的」で自立不可能な最低賃金水準に抑えられてきました。当然、キャリアアップも考慮されません。不安定で低賃金の労働者の増加は、格差や貧困問題を深刻化しました。このような正社員の生活さえ安定させればいいという制度では、社会の持続可能性という観点からも望ましくありません。

『キャリアに活かす雇用関係論』50ページより

 また、日本の賃金は社会的なリスクに対応できるものにもなっていません。一家の大黒柱が定年まで元気にずっと働き続けるということを前提にしているからです。いま、「人生100年」と言われています。育児、病気、介護、リスキリング、転職等々、ライフステージはさまざまに変化しうるものです。景気は悪く、変化の激しい社会です。入社した会社が定年まで倒産するかしないかもわかりません。AIに奪われる仕事もあるでしょう。稼ぎ主は世帯に複数いたほうがリスクは回避できます。

 さらに日本の賃金は人々の生き方の幅を狭く限定しています。正社員は「無限定正社員」という言葉があるように、配置転換や転勤があり無限定に働くことが求められており、働き方が狭すぎます。人間がケアされ、ケアする存在である、再生産の営みのなかにある、ということが考慮されず、会社への拘束性の強さとセットで正社員の雇用と賃金は保障されていると考えられています。それは「やり直し」のきかない、硬直した社会を形づくっています。いろいろな価値観があり、生き方があるという前提に立ち、賃金制度の仕組みを作り直さなくてなりません。

 そのときにフルタイムで働くことだけを当たり前にしない、ということが重要です。つまり、短時間労働を賃金減額の理由に使わない、ということです。職務を明確にし、能力や成果を適正に評価する制度を整えることで、ようやく短時間正社員制度は気兼ねなく使える制度になります。このように、重要なのは誰でも、何度でも仕切り直しができるような制度を構築することです。そのような制度を構築するには、現在のような雇用形態で仕切られた賃金制度、企業への拘束性の強さが生活を保障する賃金を得るために必要とされる賃金のあり方を変える必要があります。

 そして忘れてはならないのは、賃金は、誰かに決められて一方的に与えられるものではなく、労働組合などを通じた労使交渉や、法律の改正によって変えられるものだということです。誰もが生活できる賃金を保障されるよう、私たち一人ひとりが考えてよりよい変化をつくっていきましょう。

〈シンポジウム登壇者〉
駒川智子:北海道大学大学院教育学研究院教授
金井郁:埼玉大学大学院人文社会科学研究科教授
筒井美紀:法政大学キャリアデザイン学部教授
禿あや美:埼玉大学大学院人文社会科学研究科准教授
大槻奈巳:聖心女子大学現代教養学部教授
申琪榮:お茶の水女子大学ジェンダー研究所教授
林亜美:神田外語大学外国語学部講師
田瀬和夫:SDGパートナーズ有限会社代表取締役CEO
真崎宏美:SDGパートナーズ有限会社シニア・コンサルタント
朴峻喜:立教大学経済学部助教
佐野嘉秀:法政大学経営学部教授


書籍の情報はこちらから

【目次】

序 章 なぜ雇用管理を学ぶのか〔駒川智子・金井郁〕

第1章 大卒就職・大卒採用――制度・構造を読みとく〔筒井美紀〕

第2章 配属・異動・転勤――キャリア形成の核となる職務〔駒川智子〕

第3章 賃 金――持続可能な賃金のあり方とは〔禿あや美〕

第4章 昇 進――自分のやりたいことを実現する立場〔大槻奈巳〕

第5章 労働時間――長時間労働の是正に向けて〔山縣宏寿〕

第6章 就労と妊娠・出産・育児――なぜ「両立」が問題となるのか〔杉浦浩美〕

第7章 ハラスメント――働く者の尊厳が保たれる仕事場を〔申琪榮〕

第8章 管理職――誰もが働きやすい職場づくりのキーパーソン〔金井郁〕

第9章 離職・転職――長期的キャリア形成の実現に向けて〔林亜美〕

第10章 非正規雇用――まっとうな雇用の実現のために〔川村雅則〕

第11章 労働組合――労働条件の向上を私たちの手で〔金井郁〕

第12章 新しい働き方――テレワーク、副業・兼業、フリーランス〔高見具広〕

第13章 いろいろな人と働く――SDGsによる企業の人権尊重とDE&Iの推進〔田瀬和夫・真崎宏美〕

終 章 労働の未来を考える〔金井郁・駒川智子〕

より深い学びのために

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