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美しいってなんだろう?

美しき「皿」

 「誕生日はガブリがいい! ガブリ!」
 九歳の誕生日になにを食べたい? と娘に聞いたら、そう答えた。
 「ガブリ」とは、骨付きのとり肉に味をつけて焼いたもので、いわゆる山賊焼きのこと。特別な日はいつもこれを食べたがる。
 ヨーグルトとスパイスで漬けこんだインドの味つけ、塩こうじのシンプルな塩焼き、こげた醤油が香ばしい甘辛のテリヤキソース、どんな味でもいい。とにかく山賊のようにワイルドに手づかみで、ガブリと肉にかぶりつきたいそうだ。
 肉が食卓にのぼるときはきまって、食事のおしまいにぼくが家族全員の席をまわり、皿の食べのこしをチェックする。
 「まだ食べれる!」
 骨をつまみあげ、まわりのわずかな肉を歯でこそげ落とし、なん骨をばりばりかみくだく。ふだん、ぼくは子どもたちから「モンちゃん」と呼ばれているが、肉を食べるときは「ワンちゃん」と呼ばれる。
「ワンちゃん、こっちにもあるよ」
 骨が皿に投げられると、調子にのって、ワンワンとうれしそうな声をあげながらしゃぶりつく。われながらアホな姿だとおもうが、ちいさいときからこうなんだからしょうがない。
 ぼくが骨とそのまわりの肉への熱烈なる執着を見せつづけたおかげか、娘も近ごろはきれいに食べるようになった。

 そういえば、子どものとき、母は
 「きらいなものでものこさず食べなさい!」
 と口うるさくしかるようなことはしなかった。
 でも、きらいな食べものでもないのに、米や魚や肉を食いちらかしたり、食べのこすと、ただただ悲しそうな目をして、
 「そんなもったいない食べかたをするとかわいそう。うかばれないよ」
 とつぶやいた。おばあちゃんの実家が肉屋だったこともあるのだろう。どんなに着飾って、お金持ちで、えらい人だったとしても、魚や肉をきれいに食べられない人は恥ずかしいのよ、と教わった。
 いつしかぼくは山賊焼きでもフライドチキンでも、犬も見向きをしないほど骨をピカピカにしゃぶりつくして食べるようになった。 

 焼魚を食べたあとは、皿の上がどうなっているかよく注意された。
 「その皿はBね」「まあ、ひどい。これはC」
 と点数をつけられるのだ。
 身をきれいに食べるのはもちろんのこと、頭やエラ、背骨やしっぽ、食べるあいだに口からつまみだしたちいさな骨……大小のパーツを皿にどうおいたら美しいか。若いころ印刷所でデザインの仕事をしていた母は、それを「レイアウト」と呼んだ。
 魚の大きさにあわせ、長方形や丸など皿のかたちは毎回変わる。いわば皿は原稿用紙だ。ちいさい骨はちらばらさず、きれいにまとめて頭のかげにそっとしのばせる。背骨は手前か奥かどちらに置くのがいいか。なにもおいていない空間、余白をどうつくるべきか。
 サンマは背骨を折らないように上手に食べると、すっと一本伸びたシルエットが美しい。
 サバの腹の骨は、バネみたいに弾力があって、たき木のように立てかけるのにはもってこいだ。
 鮭のかまには、「魚の魚」と呼ばれる魚のかたちをした骨がある。人間にものどのあたりに仏さまが座った姿をした骨が隠れている。それと同じだという。
 鮭ほど大きな魚じゃなくても、魚の魚を見つけられるときがある。頭、背骨、しっぽを横並びにして、その下にミニチュアのような魚の魚をそえる。うまくいくと、標本のように美しく、おもわず箱にいれてとっておきたくなる。
 兄や父はそんな姿をみて、
 「神経質もそこまでいくとビョーキだよ」
 と笑ったが、ぼくはこの遊びが好きだった。 

 小学三年生から毎年ネパールやインドを旅行するようになって、飛行機に乗ることが増えた。成田からバンコクまで七時間、さらに乗りかえて、バンコクからネパールまで五時間。一往復するには、すくなくとも四回は飛行機にのらなくていけない。
 たいくつな空の旅。寝たり起きたり本を読んだりしていると、にわかに機内がざわざわして、どこからともなくプーンといいにおいがただよってくる。とびきりおいしい料理が出てくるわけではない。それでも機内食は飛行機の楽しみのひとつだ。
 バンコクからカトマンドゥへむかう便は、なぜか食事タイムと、大気の不安定なところを通るタイミングがいつもおなじ。のんびり食べていると飛行機がガタガタとゆれだし、水やお茶がこぼれてしまう。その前にさっさとたいらげ、片づけてもらうのをまっていると、となりの席に座っている母が、ぼくのテーブルをみて耳うちした。
 「C!」
 骨のある魚はなかったはずだけど…? と思ったが、そうではない。彼女がCといったのは、機内食のトレイの上の状態だった。
 「食べちらかしたままでスチュワーデスにトレイを返すのは恥ずかしいでしょ」
 どんな宿に泊まっても、チェックアウトの前には自分の寝床をきちんとベッドメイキングする彼女らしい発想だ。
 機内食をたべたあと、スチュワーデスがトレイを回収するまでのわずかな時間をつかって、目の前の皿と残がいをどうレイアウトするか。
 サラダのフタをはめて、メインの皿のアルミホイルをのばしひろげ、元通りにつけ直す。スプーンやフォークも袋にいれる。まるでなにも手をつけていない新品みたいだ。
 あるいはフタはフタ、皿は皿で重ねる。紙やアルミホイルはぎっちり丸めかため、メインの皿にパズルのピースのようにつめこむ。皿やスプーンについたソースやドレッシングを、指紋を消す犯人のように紙ナプキンでふき取り、ピカピカにみがいて並べたこともあった。
 これをやらないと食事を気持ちよく終えることができない。未開のジャングルで少数民族がとれた獲物を前におこなう祈りの儀式とおなじ。他人からみたら異様な光景だとしても、ぼくにとってはあたり前の習慣になった。 

 むかしの香港映画で、井戸の水くみや、まきわりをしているうちに、カンフーが上達する、というシーンがあったが、まさにそんな感じだ。
 ぼくは知らず知らずのうちに、レイアウトというものを身につけていた。まっ白い紙を前にしたとき、自作の新聞をつくるとき、ふかく考えずとも自然に手が動く。どこに文字をならべ、どこに写真や絵を置いたらいいのか、パッと見える。
 たとえ、とるにたらない道ばたの石や、うち捨てられたゴミだとしても、あらゆるものは美しさをかくしもっている。じっと見つめ、耳をすまし、あるべきかたちにレイアウトしてあげれば、ひかりかがやき、いのちがやどる。
 ぼくは子どものころから運動が苦手だったが、三歳から八歳までスイミングスクールに毎週通っていた。そのおかげで、ながらく泳いでいなくても、水のなかにはいれば、自然にからだがふんわりと浮く。手は水をかき、足は魚のおびれのように動く。記憶はあいまいでも、からだはしっかり覚えているものだ。
 本の仕事をやっていると、ときどき新聞や雑誌の取材を受けて、記者に「本のデザインのひけつはなんですか」と聞かれる。ずっと、ひけつなんてない、と答えてきたが、あらためて思い返せば、子どものとき、皿の上の骨を並べかえたのとおなじように、文字や写真を並べてきたのかもしれない。 

 政治学者の中島岳志さんと出会って間もないころ。本の打ち合わせのあと、編集者や作家たちとよくお酒を飲みにいった。
 居酒屋での楽しい時間はあっという間にすぎ、そろそろお会計……という段になると、身支度をはじめる人たちを横目に、皿にのこったものを食べつくすのは、いつもぼくと中島さんだ。どちらも二十代で食い気もさかん。「のこすのはもったいない」といいながら、唐揚げにそえられたパセリや、刺身のツマの大根や海そうまでも胃のなかにおさめ、皿に残ったソースも舌でなめるいきおいである。
 あるとき、いつものように飲んでいると、中島さんがエビの唐揚げをムシャムシャ食べていた。あれ? エビなんて注文したっけ……と見回すが、そんな料理は運ばれてきていない。彼はとなりのテーブル、つまりすでに席を立ったほかのお客さんが食べのこした皿から、ひょいひょいと唐揚げを指でつまみあげ、食べていたのだ。
 「中島くん、さすがに、それはやめたまえ……」
 編集者にたしなめられると、中島さんは「もったいなくて」といいながら、もうひとつかみ口にほうりこみ、ニカッとわらった。
 このとき、まだぼくは彼がなにを考え、どう生きてきたのか、あまりよくわかっていなかったけれど、あ、この人は信用できる、と思った。
 たんなるくいしん坊、あるいはよっぱらっていただけかもしれない。世の中にはけして食べものをのこさない、心やさしい大悪党もいるだろう。
 でも、ぼくは中島さんを恥ずかしい人だとはおもわなかった。むしろ、この人とは友だちになれる、そんな気がした。
 しばらくして、となりのテーブルに店員がやってきて皿を片づけはじめた。グラスががちゃがちゃとぶつかりあい音をたてる。むこうの席ではどっと笑い声があがる。居酒屋のにぎやかな騒音の奥で、幼き日の母のことばがこだました。

 

娘つたのつぶやき 

この間、おみそしるのなかにお魚が入っていた。
「そのなかに魚の魚が入っているよ。さがしてごらん」
と多聞にいわれ、さがしてみた。
「これ?」
「ちがう」
「これ?」
「ちがう」 

「魚の魚には、ちゃんと目があるよ。つまり、穴があいているってこと」
わたしは一つ一つほねについている身をていねいに食べて、皿のはしっこにおいていった。とうとうなかった。
「ないよ」
「あるよ。もう一度見てごらん」
また、一つ一つみていく。ん? 穴があいているほねがある。
「これ?」
「そう」
ママがこそこそ声でこたえてくれた。
「これ?」
「そう」
多聞もこたえてくれた。
でも、わたしには、魚に見えなかった。 

今日、多聞の文章を二人でよんだ。
「うまくいくとひょう本のようで、はこに入れてとっておきたくなる」
の文のところを多聞が絵をかいて説明してくれた。
「これ、こんどやってみたい」
「こんどね」
「楽しみ!」 




わたしがはじめてインド(バンガロール)に行ったのは一才六ヶ月。その時のことは記おくにない。おぼえているのは、インドの家で「トムとジェリー」を見れるということ。あと、家のかべはちゃいろや黒で、知らない他人といっしょに住んでいると思っていた。でも、じっさいの家の色は白で、そうぞうとまったくちがう家だった。

 

二年生の夏、四年ぶりにインドに行った。ひこうきの中で、外を見たり、ねたり、テレビを見たりしていると、
「つた」
と呼ばれたから、ママの方を見ると、きない食をもったおねえさんが立っていた。よってきもちわるいな、心の中でそう思ったができるだけ食べた。今のわたしだったら、多聞のように、まったく手をつけないていないように、お皿やフタをならべたり、きれいにしたい。



 

「自作の新聞ってなに?」
とわたしが聞いた。
「ぼくが6才から小学生高学年くらいまで、多聞新聞っていうのをつくっていたんだよ」
「それ買ってもらっていたの?」
「くばった」
「何を書いたの?」
「マンガとか、なぞなぞ、おはなし、みのまわりのニュースとか」
「ふーん。つたがそのじだいにいきていたら、読みたかったな……」
「そう? そんなたいしたこと書いてないよ」

でも、わたしはすごくよみたいな、と思った。

 

 

今年になって、ごはんを食べるときのとり皿をかえた。
ふつうの丸いお皿じゃ、お汁がまざりあって、へんなあじになる。
ママや多聞には
「舌がよくて、よかったね」
といわれたけれど、それがいやで、小皿をいっぱいならべて食べるようにしていた。 

ある時、ニトリでお皿のコーナーを見に行った。
するとぴったりなお皿が! しきりがついた四角いお皿もあったけれど、
「丸いのがいい」
といって買ってもらった。

お皿は木でできている。ザラザラしているような木ではなくて、ツルツルの木だ。しきりが3つあって、左上と右上はパンダの目みたいになっている。下には口さけ女の口か、口の大きい人間の口ってかんじ。とにかくまあ、いろんな物のかおがあつまって、ゴチャゴチャになっているようなお皿だ。でも、食べやすい。 

今日もいまからそのお皿をつかってごはんを食べる。今夜のごはんはなにかな。

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著者略歴

  1. 矢萩 多聞

    画家・装丁家。1980年横浜生まれ。9歳から毎年インド・ネパールを旅し、中学1年生で学校を辞め、ペン画を描きはじめる。1995年から南インドと日本を半年ごとに往復し個展を開催。2002年から本をデザインする仕事をはじめ、現在までに500冊を超える本を手がける。2012年、事務所兼自宅を京都に移転。著書に『偶然の装丁家』(晶文社)、『たもんのインドだもん』(ミシマ社)、共著に『タラブックス インドのちいさな出版社、まっすぐに本をつくる』(玄光社)、『本を贈る』(三輪舎)がある。http://tamon.in

  2. つた

    2011年横浜生まれ、京都育ち。小学校は昨年から永遠の春休みにはいり、風のふくまま気の向くままフリースクールとプールと図書館に通っている。本があれば、どんな長い時間でも退屈しない本の虫。好きな映画は「男はつらいよ」。いつの日か車寅次郎と再会することを夢見ている。矢萩多聞の娘。

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